2006年04月29日 土曜日

ナスカの守護神。

隊長、
 
 
nasuka.jpg
 
 

ナスカ展


 
 
に、行ってきました。
 
 
 
ナスカについて知識があるほうだと隊長は思っていたのですが、知らないことが結構ありました。ナスカの不思議を御紹介するのはもちろんですが、それは、またの機会に致します。

今回の竹探は、ナスカを愛し、ナスカを守り抜いた一人の女性のお話です。
 
 

泣けました。


 
 
ナスカ市はペルー共和国の北西に位置する、そんなに大きくない街です。
しかし、ロマンは無限大。
何故ならナスカ文化が、あるからさ。
 
ナスカ文化は、紀元前600年前に栄えた文化です。
そもそも、ペルーってヤバイ部な国です。
空中都市マチュピチュでしょ!チチカカ湖のビラコチャでしょ!
ハー、たまんない!
・・・・んん、ゴホン!ゴホン!
話をナスカ文化に戻しましょう。
  
至極当然、ナスカ文化と言えば
 
 
ナスカ2.jpg
 

ナスカの地上絵


 
 
 
 
です。
 
これだけ大きいのに、見つかったのは20世紀に入ってからの話。
考古学者のポール・コソック博士によって発見されています。
実は発見されてから、とっても日が浅いんですね。
「世界8番目の不思議」なんて言われてるのはそのせいです。
 
 
ちょうど、同じ時期、ナスカに魅了されたドイツ人の数学者がいました。
 
その名は、
 
 
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マリア・ライヘ


 
 
 
不毛の大平原に浮かぶ太古のメッセージは、彼女の瞳にどう映っていたのでしょう。
 

マリア・ライヘは1903年ドイツのドレスデンで生を受けました。
とにかく散歩が好きな女の子で、その頃の将来の夢は一日中歩き回れる「郵便屋さん」だったそうです。
しかし、そんな平穏な日々は長く続きませんでした。
 
第一次世界大戦です。
 
当時はヒトラー率いるナチスドイツの時代。
国際緊張は高まるばかりで、不安と恐怖の日々が続きます。
そして、マリアの父は帰らぬ人となりました。

 
マリアは移住を決意します。
 
 
彼女が選んだ希望の土地は南米「ペルー」でした。
 
マリアは20代も終わりにかかろうという歳に単身でペルーに渡ります。
職業は家庭教師に就きながら、数学者として古代ペルー文化の天文学を研究していました。そして38歳の時に運命的な出会いが訪れます。
発見者のコソック博士から測量の依頼を受けて初めて地上絵と出会うことになるのでした。この測量をきっかけに地上絵の研究が始まります。

 
照りつける日差しは並大抵のものではありません。
ペルー経済も決して安定しているわけではありません。
国はマリアの研究にお金を出す余裕もなければ価値もわかりませんでした。
マリアは過酷で貧しい生活を課せられます。

ネズミが出るみすぼらしい小屋に住み、ホテルで水を分けてもらいながら、大平原で何日も野宿をして、何の絵が描かれているのか、何の為に絵は描かれたのか、孤独と戦いながら研究し続けました。
 
 
maria.jpg
マリアが実際に使用した、測量器具。
 
 

最初、ナスカに住む人々は自分達が住んで慣れ親しいこの土地に、どれだけ貴重な遺産が残されているか理解できませんでした。
そりゃそーです、飛行機にでも乗らないとわからないんですから。
 
人々は畑への近道と思っていつもの習慣で地上絵を横切って行きます。
するとマリアが飛んできて「コラー!地上絵を荒らすなー!」とわらほうきを振り回して怒鳴り散らしました。ナスカの人々はなんでこの外国人はこんなに怒ってるんだろう?と不思議に思うばかりでした。

マリアはめげずに地上絵の保全に務めます。
地上絵を縦断するパン・アメリカン・ハイウェイ建設に抗議活動を行いました。
地上絵が荒されることのないように少ない私財を投げうって観測塔も建てました。
マリアは自分にできることは全て試みました。
 
 
mariaraihe-2.jpg
遺跡の修復を行うマリア。全て手作業でした。
 
 


だんだんと、人々はマリアに理解を示すようになります。
 

いつしか、人々は彼女を
 
 
 

マドレ・デ・パンパ(大平原の母)


 
 
と呼ぶようになりました。

とうとうペルー政府もマリアの活動を認め、いくつもの勲章を贈りました。
ようやく研究と保全に協力的な態勢が整えられるかと思われましたが、当時は国が貧しいだけではなく、政治的内乱が苛烈を極めており、政府にはとてもマリアの研究に援助するだけの余裕はありません。

周囲からの理解は得られたものの、また、お金の問題が残りました。

マリアにはレナーテという妹がいました。
レナーテは姉の役に立ちたい一心で、ペルーへ移住してきてドイツの自宅を売却したお金を渡しました。
マリアはナスカの研究成果を本にまとめ、その売り上げを全て注ぎ込みました。
姉妹はドイツから支給される年金も、全て活動資金にあてがいました。
何とかお金を工面しようと必死でした。
 
そして、二人の努力を、世界が認めます。
 
 

1994年、
 
UNESCO世界遺産登録


 
 
偉業です。

日本の富士山は世界遺産に認定されてません。
理由は頂上に自動販売機があるから。
日本人は遺産をゴミ箱にすると思われたんです。
本気で後世に残す気持ちがないと世界遺産には認めてくれません。
 
マリア・ライヘを語るうえで、忘れてはいけない彼女の助けになった女性がもう一人。
 
日本人です・・・・

 

 
 
kusuta.jpg
 

楠田枝里子


 
 
ただの「なるほど・ザ・ワールド」のオバさまじゃなかった・・・
楠田枝里子さんは彼女達に感銘を受け、1980年代の半ばから、ナスカに通い、「ナスカ砂の王国」というノンフィクションを書き上げ、この本の印税をそっくり活動基金として寄付しています。
 
maria_kusuta.jpg


1995年、ひどく地上絵が荒らされ、資金的にも厳しい時期に妹レナーテが亡くなるというマリア最大の悲劇が訪れました。
その時も楠田さんは何とか助けになろうと「日本マリア・ライヘ基金」を設立し遠い日本からマリアを支えました。
実ににすげぇ人です。もはや、ナスカのメシア。
 
必読→Eriko Kusuta's World
 
 
 
 
1998年、マリア・ライヘは95歳で人生に幕を閉じます。
 
 

ここまで隊長は、マリアの研究成果を綴ってきませんでした。
マリアは地上絵に夏至、春分、秋分に、太陽が沈む方角にほとんど合致する数本の直線が発見されたことなどから、地上絵は星の動き表し、暦の役割を果たす「天文図説」を提唱しています。

しかし、確証は得られませんでした。
 
現在は、絵がすべて一筆書きになっていること、進行方向を示す石が見つかったことなどから、絵の上を行進して周る「雨乞いの儀式説」が有力だそうです。
ただ、これもまた確証を得るまではいたってませんが。
 
 

皆さんは、マリアの生涯をどう思いますか?
 
 
理解を示す人、結果を出さなきゃ意味がないという人、もっと幸せな生き方があったんじゃないかと思う人、そもそも、なんで遺産を大切にしなきゃいけないんだろう?と疑問に思う人・・・
 
人それぞれで、当たり前。答えなんて無い問いかけです。
でも、ただ一つ言えることがあります。
 
マリア・ライヘがいなかったら「ナスカの地上絵」を知ることができなかった。
 
マリアが遺跡の保全に人生を懸けたから、世界が知ることとなりました。
ナスカには観光客が増え、仕事が増え、生活に潤いが与えられました。
ナスカの人々は、マリアと一緒に地上絵を守ることでナスカ人として「誇り」を持つことが出来ました。

この功績は大きい。
 
マリアは、晩年、パーキンソン病で目と足が不自由になっていました。
でも、彼女は病室のベッドでいつもこう言っていたそうです。
 
 
「パンパ(大平原)につれて行っておくれ。
目が見えなくても、あの風を、あの日差しを、肌で感じたい。」
 

彼女の弟子たちは、今日も地上絵の測量を行っています。

投稿者 隊長 : 2006年04月29日 04:27

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 コメント

ぶっちゃけ、地上絵といえば例の「鳥」のやつ(しかもゼビウスで)しか知らないぺぺローションです。コニーチワ。
ライヘ氏の功績にもタマゲましたが、楠田氏の話に肝を抜かれました。魂が消えて肝も無くなったらもはやそれは何?かかし?
不思議の世界はいいもんですね。確証を得てこその世界に全霊をかける不思議ハンターたち。彼らは「確証」とか「事実」とか、それらを得る以前に「触れていたい」んでしょうね、不思議というお宝に。なんにせよ、「大事にする」というのはいいもんですよね。だから博物館が好き。

投稿者 ぺ・ヨン・カオル : 2006年04月30日 01:20

>ぺぺぺー様
 
あんた、わかってるねー。
そうなんざんすよ。
「大事にする」って理由なくいいもんなんですよね。

隊長はライヘってすごい幸せだったと思うんですよね。
一人で研究に打ち込む時も自分にしかわからない喜びを感じていたんじゃないかと。

魅かれるわ~。 
また科博、行っちゃお!

投稿者 竹中隊長 : 2006年04月30日 02:45

ただ、ただ、涙。
すんごいっすね。いつも休憩の合間に竹隊読んでますが今回のは大変感銘を受けました。
ただ、ただ、ありがとう。

投稿者 かっつん : 2006年05月01日 16:51

>かっとつん!様
 
おおー!
久しぶりぶりっすね!
愛読ありがとう!
 
隊長、今回はいつになく真面目に書いちまったんで反響にビビッてました。かっつんがグッときてくれて嬉しいっす!
ほどほど仕事頑張ってね!
時代はロハスですよー!

投稿者 竹中隊長 : 2006年05月01日 18:24

私はナスカについて無知もいい所なんですが…
世界遺産を維持し保護していくのは本当に大変な事だと思います
最近、姫路城を見てきたんですが、城は国や自治体からの補助があっても維持がとても大変らしく、姫路城も築城以来400年近く経っているので修繕工事にはかなり苦労したようです
昭和31年から行われた天守閣の解体修理には当時のお金で約10億円が使われたんだそうです。きっと当時の10億円を姫路城修繕工事にあてるなんて…そう簡単な事じゃなかったでしょうね…
この工事に8年間を費やし、延べ25万人が携わったといわれるこの大修理は、スケールの大きさから「昭和の築城」とも言われる作業だったそうです
歴史的建造物に触れる事が出来るのも、それを必死で守ってきた人がいるからなんですね
マリアの生き方と精神力には感嘆させられますね
(長々とすみません)

投稿者 zaku : 2006年05月09日 16:29

>zaku様

長々、最高。
ありがとうございます。

やー!やー!すごい!
姫路城ってドラマがあったんですね!

「昭和の築城」って・・・
ホロホロきました。

ケガはもちろん、たぶん人が死に掛けたりしたんでしょうね。
10億出せる日本も捨てたもんじゃないや・・・
ちょっと見直しました、日本はいい国ですよ。
 
「残す」ってスゲエですよ、やっぱり。
必死で守ってきてくれた人達に本当に感謝です。

何かの役に立てんかな?と思う隊長でした。

投稿者 竹中隊長 : 2006年05月10日 13:54

度々お邪魔します

ユネスコ・アジア文化センター文化遺産保護協力事務所なるところがあり人材養成(笑)をしております

コレは世界遺産の都奈良の事務所例ですが

・ 研修期間は比較的長期で2か月程度
・ 貴重な文化遺産が破損、滅失の危機にさらされるなど、保護・保存対策が世界的緊急課題となっている国や地域を対象
・ 専門的知識と技術の習得を目的として遺跡、建造物等に対する地上・地下両面の調査に関する研修を実施

だそうです
しかも世界遺産についての国際シンポジウム もあるらしく、とても興味深いラインナップです

2003年3月 謎の巨石文化を考える
2004年10月 有形・無形の世界遺産の国際的な保護と発展
2002年7月 荒廃する遺跡を守る
2003年6月 アジアの文化遺産保護に賭ける

よければ行ってみてはいかがですか?世界遺産の見方が変わるかもしれませんね


投稿者 zaku : 2006年05月11日 14:16

おおー!一度ならず、二度もでもぉ!
ナイス情報、ありがとうございます!

興味津々丸ですねー。
>2003年6月 アジアの文化遺産保護に賭ける
 
の、「賭ける」っていいですねぇ~。

チェックしときます!

投稿者 竹中隊長 : 2006年05月11日 21:53

泣きました…。
ただEriko Kusuta's Worldの音には驚かされました。

投稿者 John : 2006年05月26日 03:10

>John様

おおぉーJohnさーん!!

泣いてくれましたか!!!

ありがとう!共&感してくれてありがとう!!

楠田さん、スゴイよね。
趣味が極まっていてスゴイ。

投稿者 竹中隊長 : 2006年05月26日 15:18

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竹中探検隊

投稿者 Victor Perkins : 2007年10月09日 06:01

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竹中探検隊

投稿者 Dawna Clarke : 2007年10月10日 01:19

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竹中探検隊

投稿者 Scott Valentine : 2007年10月12日 18:00

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